戸田山和久 『知識の哲学』
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「私はXを信じている」から「私はXを信じていると私は信じている」を得るのは命題的内容同士の推論関係からは言えないけど、これは所与の神話の批判を受けないのか
不可謬じゃなくてもいいのならなぜ間違いうるとか言う
閉包原理
K X -> K(X -> Y) -> K Y
アプリカティブか?
アンドロイド認識論というのがあるらしい
懐疑論自体が幻覚の科学に由来しているっていうけど、幻覚があるということが科学的に否定されたとしても(それだと幻覚があるというふうに我々は欺かれていたことになるけど…)、懐疑論がなくなるわけではないのでは